こんにちは、旅行とグルメが大好きな食べ旅(TABETABI)です♪
皆さんは、いわゆる「ブランド牛」に推しはありますか?
日本が誇る「和牛」はブランド商戦が強い傾向にあり、畜産業者たちが切磋琢磨し、多岐にわたるブランド牛を生み出してきました。

近年はブランド和牛のハンバーグを自宅でレストラン風にするのがブーム。
今や和牛は「WAGYU」として世界的に知られ、取引も盛んになりましたが、これまでに様々な興味深い歴史があったのです。
今日はそんなブランド和牛の中でも、日本三大和牛の1つとされる近江牛について語っていきたいと思います。
近江牛とは

霜降りに定評がある近江牛
近江牛とは名前の通り近江の国、現代の滋賀県辺りで育成された和牛の事。
黒毛和種の和牛が滋賀県内で最も長く肥育された場合に許される呼称となっています。
松阪牛、神戸牛(米沢牛という主張もあり)に並ぶ日本三大和牛の1つです。
長い歴史がある近江牛

近江牛の歴史で文献上、最も古い関係者の高山右近はキリシタンで後に日本を追放され、フィリピンのマニラに到着してわずか40日後に生涯を終えた。
近江牛は、和牛の中でも400年の長い歴史があるそうです。
最も古いものは1590年、豊臣秀吉の小田原征伐(太閤・豊臣 vs 北条)の際、キリシタン大名で知られる高山右近が近江牛を他生氏郷や細川忠興にふるまった、というもの。
当時、というか、そもそも仏教が日本に伝わって深く浸透し、政治にまで影響を来し始めた平安時代の頃から殺生の禁忌感情もあって禁食肉の傾向にありました。
その流れは江戸時代でも続いており、当時も牛肉は禁じられていましたが、一方で養生薬としての位置付けであり、限られた特別な立場の者、要は幕府や朝廷などで食されているに過ぎませんでした。
そのころ、彦根藩は幕府に陣太鼓を献上する立場にありました。

1687年の頃には近江牛は彦根藩で味噌漬けにされ養生薬「反本丸(へんぽんがん)」として考案され、当時は肉食が禁じられていたものの、それでも1781年頃には彦根藩から幕府に献上されている事もあり徐々に日本各地に知られていきました。
この事から太鼓に使う牛革を確保する必要があったため、牛の畜産の営みと屠殺が許可されていたため、近江では他の地域に比べ牛肉を食べる文化も自然と広まる傾向にあったと考えられています。
他の日本三大和牛である神戸牛の歴史が約130年、松阪牛が100年ほどと考えると、日本で初めて牛肉を食べる文化の発祥地とも考えられ、今の日本の和牛ブランド文化の発展に大きく寄与しているのが近江牛、という事が分かりますね。
このような長い歴史も近江牛がブランドで日本三大和牛として位置づけられる所以でもあるのです。
そんな歴史ある近江牛ですが、実は大きな歴史的事件の発端の1つだった、というお話があります。
「桜田門外の変」に近江牛が関わっている!?

桜田門外の変
日本の歴史において非常に重要な転換期とも言える事件がありました。
それが当時に大きな権力を有していた大老であり彦根藩主の井伊直弼が、安政7年3月3日(1860年3月24日)に水戸藩と薩摩藩の脱藩者達18人に暗殺された「桜田門外の変」。
一般的に桜田門外の変は井伊直弼による以下の内容が原因とされています。

井伊直弼により実際に調印された日米修好通商条約。
日米修好通商条約
鎖国状態にあった日本を開国に導いた井伊直弼の功績とされる日米修好通商条約は、蓋を開ければ日本が不利な不平等条約でした。
黒船来航後の当時、アメリカだけでなくイギリスおよびフランスの連合艦隊も厳しい条約を要求していました。
幕府は調印の許可を孝明天皇に求めましたが、孝明天皇は外国を信用しておらず許可しませんでした。井伊直弼も反対の立場にあったものの、外国の圧力もあって、交渉の担当者である井上清直と岩瀬忠震には時間稼ぎをさせつつも「やむを得ない場合は調印も」と伝えましたが、彼らは「調印OK」ととってしまい、天皇が許可しないままアメリカと調印。
結果的にアメリカ側に領事裁判権(いわゆる治外法権。日本でアメリカ人が罪を犯しても日本は裁けない。)を認め、日本に関税自主権が無く、アメリカに最恵国待遇を約束していたにも関わらず、関税も低関税率に固定され不平等条約となり、猛反対していた水戸藩の徳川斉昭を始めとする尊皇派や攘夷派から「天皇を蔑ろにしている」と大きく批判されました。

徳川家定
将軍継嗣問題
当時、将軍の跡継ぎ選定で問題が発生していました。
12代将軍の徳川家慶には14人の男子と13人の女子を作りましたが、いずれも夭折(若くに亡くなる事)してしまい、男子で生き残ったのは4男の徳川家定だけでした。後を継いで徳川家定が13代将軍となりましたが、家定は幼少の頃から病弱で、天然痘を患い、目や口がひきつったり痙攣、まともに話す事も出来ず、今でいう小児麻痺ではなかったかと推察されています。
この様相は、家定に引見した米国総領事タウンゼント・ハリスの日記に詳細が書かれているそうです。家定には子を産む事が難しい、つまり次の将軍を受け継ぐ14代将軍をどうするか、という世継ぎ問題に幕府は直面していたのです。
そんなわけで水戸藩主・徳川斉昭の七男で幼少期から優秀であり徳川分家の一橋家を継いだ「一橋慶喜(当時21歳)」を推す一橋派と紀州藩主で家定に血筋が近い従弟の「徳川家茂(当時12歳)」を推す南紀派に幕府内で意見が対立していたのです。
当時の天皇、つまり朝廷としては「時節柄、次期将軍は年長の人が望ましい」つまり、時期的に(海外の圧力などにも負けない等も含めて)も大人(つまり12歳の子よりも21歳の一橋慶喜)が良い、という意向でした。しかし、井伊直弼は血縁を重視して半ば強引に家茂を推奨、結果的に天皇の意向は無視されてしまったのです。当然、天皇を重視する尊皇派の水戸藩からも反発されます。
水戸藩の徳川斉昭を含む尊皇派や攘夷派は直談判をしに江戸城に登城しますが、当時は決められた日以外の登城を禁じられていた為、斉昭らは罪に問われ、政界から追放、そしてなぜか決められた日にちゃんと登城した慶喜まで政治に関わる事を禁じたのです。

直弼の四男・井伊直安が描いた直弼肖像画。「安政の大獄」は書類上、家定の将軍玲となっているが実際は実権を握る直弼によるものとされる。
安政の大獄
日本に不利な日米修好通商条約を天皇も反対意見も無視して勝手に調印し、天皇の意向を無視して幼い子を14代将軍に擁立、直談判しにきた水戸藩たちを政界から追放。
腹を立てた天皇は幕府を通さず、直接水戸藩に孝明天皇は「幕府の勝手への批判と、攘夷(再び鎖国する、という思想)を進めたい」という旨の手紙を送りました。これは天皇が幕府を信用していない、という明確な態度の表れで当時は異例中の異例でしたが、井伊直弼はこれを「水戸藩の策略によって孝明天皇はそそのかされた」という理由で反対派である水戸藩を排斥する機会ととらえます。
これにより水戸藩は厳しい取り調べを受け、吉田松陰や水戸藩の一部の尊皇派の家臣たちは死罪、島流し、謹慎など100人近くを大量処罰してしまったのです。
そして襲撃へ。
天皇を蔑ろにする事は、尊皇派にとって最もあってはならない侮辱ですし、水戸藩主の顔に泥を塗る行為でもあるため、部下である藩士たちも堪忍袋の緒が切れます。
こうして暗殺計画が練られたわけですが、60人もの大名行列で勿論、護衛もおり武器も携帯していたにも関わらず、たった18人の襲撃であっという間に暗殺が成功してしまいました。

1人だけ薩摩藩として加わった有村次左衛門が井伊直弼を斬首して首級をあげた。歌川国芳画。
- 当時は雪で雨合羽もしていたため視界が悪かった。
- 寒かったため護衛が刀にカバーをかけていたり直弼を逃がそうとしたため抜刀が遅れた。
- 丸腰の籠持ちや一部の護衛は逃走した。
- 護衛を増やすと失敗を認めた事になると考えて直弼は護衛を増やさなかった。
- 江戸幕府が開いて以来、大名行列が襲撃された事が無い為、油断もあった。
- 襲撃合図の拳銃発砲で直弼が足の傷を負い、本人は戦えず逃げる事も出来なかった。
こうして井伊直弼は水戸藩の脱藩者たちに襲撃され、18人 vs 60人という人数差にも関わらずわずか数分のうちに暗殺されてしまったのです。
これが一般的によく知られる桜田門外の変です。
ですが、この事件を一部の市井(庶民の総称)の間で「御牛騒動」と呼ばれていたのをご存知でしょうか?
当時は「御牛騒動」と言われていた。

牛肉を味噌漬けにして焼くのは今でも絶品。
井伊直弼の天皇を軽視した独裁的な政治に水戸藩は腹を立てていましたが、それ以外にも井伊直弼と水戸藩との確執があったそうです。
それこそが近江牛が関わるお話。
前述したように、井伊直弼が納めていた彦根藩は陣太鼓を幕府に献上する立場にあったため特別に牛の屠殺が許可されており、その流れで近江牛の味噌漬けである養生薬「反本丸」も献上していました。
水戸藩の徳川斉昭もこれを非常に楽しみにしていたのですが、井伊直弼は熱心な仏教徒で殺生に当たるとして牛の屠殺を完全に禁止し、「反本丸」も献上しませんでした。
徳川斉昭は手紙でも近江牛の味噌漬けをお願いし、直接会った時も熱心に直弼にお願いしましたが直弼は歯牙にもかけませんでした。

徳川斉昭。井伊直弼との政争の結果、敗北して永蟄居(永久自宅謹慎の刑)となったが、結果的に日本最後の将軍・徳川慶喜の父、という歴史を刻んだ。
井伊直弼が水戸藩から強い恨むを持たれて起きた桜田門外の変は「日米修好通商条約」、「将軍継嗣問題」、「安政の大獄」とされていますが、隠れた第4の原因として「御牛騒動」があった、という説があるのです。
諺にも「食い物の恨みは怖い」とあるように、食べ物が原因で争いごとが生じますが、世界共通ではあるものの、知っての通り食文化を重視する日本では特に争いに発展しやすいかもしれませんね。
とはいえ、事実のお話として、彦根藩から将軍へ牛肉が献上されたのは11代井伊直中より2回だけですし、恐らく史実とは異なるだろう、というのが専門家の見解のようです。
が、細かな恨みが度々重なって鬱憤が溜まり、自身の命を覚悟するほどの大きな事件に発展する、というのは想像に難くありませんし、文献が無い(=証拠がない)だけで実際は関係あったかもしれませんよね。
今日はそんな桜田門外の変を起こす一端となった可能性もある「近江牛」を贅沢に使った絶品ハンバーグをご紹介します。
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そう思った時、あなたの頭に浮かぶのはどんな料理でしょうか?
焼肉、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ハンバーガーやBBQ……
選択肢はたくさんありますが、大人から子供まで家族全員が等しく歓喜し、一口食べた瞬間に「おいしかった!」と思える定番の人気メニューといえば、やはり「ハンバーグ」ではないでしょうか。
今回ご紹介するのは、ただのハンバーグではありません。
約400年もの歴史を誇り、日本三大和牛の一つに数えられる「近江牛」を贅沢に使用した、滋賀県竜王町が自信を持って送り出す逸品。
袋を開けた瞬間に広がる期待感、焼き上がる時の香ばしい脂の香り、そして溢れ出す肉汁……
自宅のキッチンを瞬時に高級レストランへと変えてしまう、その圧倒的な実力を余すところなくお伝えします。
🍖 400年の歴史が醸す、肉の芸術品。琵琶湖の恵みが育んだ「近江牛」の圧倒的存在感。
滋賀県が世界に誇る宝物、それが近江牛です。
豊かな自然と、滋賀県のシンボル、通称マザーレイクこと、琵琶湖の清らかな水に恵まれたこの地で近江牛は全国一とも言われる品質を維持し続けてきました。
その歴史は江戸時代まで遡り、将軍家へ献上されていたという記録も残るほど、古くからその価値を認められてきた存在です。
特にこのハンバーグに使用されているのは滋賀県竜王町の厳しい品質管理のもと、ストレスフリーな環境で健やかに育てられた近江牛です。
この近江牛ハンバーグを一口頬張れば、まずは肉そのものが持つ豊かな風味に驚かされるはず。
和牛ならではの甘い香りと噛みしめるほどに溢れる深いコク。
それは、400年の伝統と生産者の情熱が作り上げた、まさに「肉の芸術品」と呼ぶにふさわしい味わいなのです。
🧅 甘みの相棒は淡路島から。肉の旨味を極限まで引き立てる「淡路島産玉ねぎ」の魔法。
主役である近江牛のポテンシャルを最大限に引き出すためには最高の脇役が必要不可欠。
このハンバーグが選んだ最高のパートナー、それが「淡路島産の玉ねぎ」。
淡路島産の玉ねぎといえば、その驚異的な甘みと深いコクで全国の料理人から愛されている主役級の名脇役。
生で食べても美味しいと言われるほどフルーティーなその玉ねぎを贅沢に配合しています。
じっくりと火を通すことで、玉ねぎの持つ自然な甘みが近江牛の脂の旨味と溶け合い、絶妙なハーモニーを奏でます。
お肉の力強さを玉ねぎの優しさが包み込み、後味に上品な余韻を残してくれる……
この名コンビの出会いこそが、何度でも食べたくなる「くせになる美味しさ」の秘密なのです。
🍳 余計なものは一切なし。「台所に立つ人の味方」な、潔いほどシンプルな原材料。
最近、私たちが口にする食べ物には、裏面を見ると聞き慣れないカタカナの成分、いわゆる「添加物」が並んでいることが少なくありません。
しかし、この近江牛入りハンバーグの原材料リストは、驚くほど潔くシンプル、そして温かみに溢れています。
使用されているのは厳選された近江牛と豚肉の合挽肉、淡路島産の玉ねぎ、そして全卵、パン粉、牛乳、醤油、塩コショウのみ。
(※豚肉は米国産)

まるでお母さんが家族のためにキッチンで一つひとつ手作りするようなホームメイド風の安心安全な素材だけで作られているのです。
余計な添加物や保存料に頼ることなく、素材そのものの力で勝負する。
これは、素材の鮮度と品質に絶対の自信があるからこそできることです。
小さなお子様がいるご家庭でも、健康を気遣う方への贈り物としても、胸を張ってお薦めできる「誠実なハンバーグ」と言えるでしょう。
🍴 圧巻の200g!「今日はハンバーグが主役」と胸を張れる、大満足のボリュームと使い勝手。
届いて驚くのが、そのボリュームです。
一般的なレストランのハンバーグが120~150gほどであることを考えると、1個200gというサイズがいかに太っ腹であるかが分かります。
お皿に乗せた時の存在感は抜群で、まさに「今日の食卓の主役」にふさわしい貫禄。
さらに嬉しいのが、使い勝手の良さ。
一つひとつ丁寧に個装されているため冷凍庫の中でかさばらず、食べたい分だけを解凍して調理することができます。
忙しい平日の晩ごはん、ちょっと豪華にいきたい週末のランチ、あるいは一人暮らしの方の贅沢な夜食として。
必要な時に、必要なだけ、最高のご馳走が用意できるという安心感は、現代の忙しい生活において何よりの贅沢かもしれません。
お箸を入れた瞬間にジュワッと溢れ出す肉汁を、ぜひ逃さず受け止めてください。
まずは何もつけずにそのままで。
次に、シンプルに塩やわさび、あるいは大根おろしとポン酢で。
肉の旨味が濃いからこそ、どんな食べ方でも主役の座が揺らぐことはありません。
🎁 竜王町の誇りをその手に。ふるさと納税で出会う、一生ものの「お気に入り」
この近江牛入りハンバーグは滋賀県竜王町のふるさと納税返礼品として用意されました。
地域を愛し、伝統を守り続ける人々の想いが、この一塊に込められています。
納税という形で地域を応援しながら、その土地が誇る最高の味を自宅で楽しむ。
これこそが、ふるさと納税の醍醐味であり生産者と消費者が美味しさで繋がる素敵なサイクルではないでしょうか。
一度この味を知ってしまったら、きっと来年も、再来年も、竜王町のページをチェックしてしまうはずです。
滋賀県竜王町から届く近江牛の恵みが、あなたとあなたの愛する人たちを、心からの笑顔にしてくれることを約束します。
滋賀県竜王町ふるさと納税返礼品の近江牛入りハンバーグは以下の公式ページでお求め頂けます。
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近江牛を贅沢に使用した鬼リピ確定の絶品ハンバーグです! |
まとめ
冷えたビールをぐいっと飲みながら、アツアツのハンバーグを頬張る。
あるいは、炊き立ての白いご飯にバウンドさせて、肉汁の染みたお米をかき込む……
そんな幸せな風景が、このハンバーグを注文した瞬間から始まります。
歴史に裏打ちされた本物の味を、あなたの食卓に。
今日はふるさと納税返礼品としてご紹介しましたが、こちらの近江牛入り絶品ハンバーグは以下で一般販売もされていますのでシーンに合わせてご利用ください。

